WWWを検索
サイト内を検索
プライバシーポリシー
サイトマップ
むかし
いま
みらい
むかし
いま
みらい
むかし
いま
みらい
HOME
>
目指せ!地域の豆博士
> 「暮らし」: 播磨地域のまち・生活のことを知ろう むかし
播磨臨海地域は、昔は姫路城や明石城を中心に城下町として栄えました。明治以降、工業都市として歩み始めましたが、近年では阪神・神戸地域のベッドタウンの「顔」も持つようになりました。播磨地域のまち・生活の昔はどのようだったのでしょうか?
城下町姫路,明石から産業都市へ
播磨臨海地域では、明治時代までは城下町である明石と姫路以外に、大きな市街地は見られませんでした。大正時代以降に工業化が進み、昭和の高度成長期に「産業都市」として全国に知られるようになります。
生活都市への脱皮
大正時代に整備されていた鉄道の電化を契機に、高砂市より東側の地域は阪神・神戸地域のベッドタウンに変わり始めました。鉄道や道路に沿って東西方向に開発が進み、かつて農地や樹林地だったところは宅地化されました。今では、地域の北部に、丘陵地や農地の緑が残る形です。明治時代からの100年間で、市街地の面積は約5倍、人口は約3倍に増えているのです。
また宅地化の進行と同時に、工業の公害や環境破壊の問題が浮き彫りになり、新たな緑の創出として、回廊構想やグリーンベルトがつくられています。
市街地拡大の変遷
市街地分布(明治38年頃)
市街地分布(終戦直後;昭和25年)
市街地分布(高度成長期、昭和40年)
市街地分布(現在、平成9年)
ページの先頭へ戻る